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2006年5月15日(月) 01:42

厳しい現実

[最近の高校のテスト]

厳しいが、これは現実(に起こりうる)の話だ。
さすがにないだろ、というツッコミは現場の人間は発することはできない。


「考えるのがめんどくさい」というのを何度聴いたことか。
そしてそれが人間として生きるのに、どれだけ恐ろしいことか。

斯様な人間と一緒の社会に仕事したり協働したり生活したいと思うか?
答えは”まともな人間ならNO”だ。

このレベルの人間がゆとり教育なんて受けたらどうなるだろうか?
はっきり言えば学校はただ日中DQNが街中に溢れなくするための収容所に過ぎなくなる。(ホンマもんのDQNは学校にすら行かないが、溢れなくなるだけマシ)

”まともな人間(*)”をつくるための施設であった学校が収容所に成り下がれば、学校も”収容所”と”まともな学校”の二極化がおき、今で言う平均的な学校がなくなり(まぁ偏差値表が役に立たなくなる、という感じか)、二極化した構造はゆるぎないものになって逆転不可能な構図が出来上がるだろう。一種「智の独占」だと思う。

こうした格差拡大による社会の二極化は学力格差でも顕著であり、以上の話は現場では非常にリアリティをもって語られているのである。


所謂底辺校に行くことを何故教師が勧めないのか、というのは蔓延する”めんどくさい症候群”という毒牙にかかってほしくないから、というところもある。まぁ一言で言えば環境なのだが。
(学校の実績を気にする先生も将来を心配する先生もどちらも勧めない、というのはそういうところだからだ。)

要は自分さえ頑張ればいいじゃないか、という環境ではないのである。
その気があるのであれば自分の頭で先を考えて進路を決めてほしい。

だから、「めんどくさい」という言葉で問題から目を背けるな。




教育による道徳の押し付けなんだけれども、社会側からすると”まとも”という基準による秩序付けは必要不可欠。

written by sofuwe [授業・研究] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)]

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