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2006年11月14日(火) 00:42

「1日4セクション制」の提案

どうでもよいことをつらつらと長く書く。なんてヒドイBlogなんでしょう。
論文・・・調のエッセイ文章です。友人に感化されただけだから参考文献もないしね。

続きは↑のリンクから。


 1日は太陽と地球の自転の関係から24時間とほぼ絶対的な尺度で決められたものであるが、その長さの感じ方は個々人の感覚に依拠するものがある。例えば年齢層ごとにその感覚を鑑みると、それまでの過ごした時間を尺度とすることにより、年齢が上がるごとに時が立つのが早く感じる傾向があるなど、時間間隔においては相対的なものであるといっても過言ではない。
 また古代―近代―現代と経るにつれ文明が発達し、特に近代以降「産業化―情報化」という変革の波により、人々は大きくライフスタイルを変えてきた。しかしながら「朝に起き、昼に働き、夜に寝る」という”睡眠”に関しては、産業化以降ようやくサービス業などにおける夜勤などが導入されつつあること以外においては、ほとんど大きな変革がないように思われる。さらに情報化がコンピュータによって推し進められ、殊日本においては情報を手軽に処理できるようになったために仕事まで偏在する格好になり、常に終わることのない仕事の堆積に追われ、まともな睡眠時間を取れなくなっているようなライフスタイルを送る日本人が増えてきていることを考えると、旧来の”睡眠スタイル”はもはや整合性の取れるものではなくなってきていると言わざるを得ない。

 そこで『1日4セクション制』なる、1日の時間感覚をリセットし、生活能率を上げる”睡眠・ライフスタイル”を提唱したい。

 従来は一回の睡眠による「活動1、睡眠1」という2セクションのスタイルであったが、いつでも働けるようになった、ということを鑑みて図のように短時間の睡眠を二回とることで「活動2、睡眠2」と、生活時間を4分割する。これにより従来の「寝ることで一日が終わる」という感覚によって「1日の中で2日過ごしたカンカク」を得、単に一日を冗長に過ごすよりも濃密且つ効率的に過ごすことができるというものである。

 もちろん切り替えが得意な現代人という前提があっての能率的4セクション制であって、さもない人であれば「2日過ごしているカンカク」は得られないため意味を成さないだろう。これは”主観的、相対的カンカク”の変容を狙っているものであるから効果がなければ効果がないで仕方がない。
 また生殖的・生物学的には真っ向からよろしくないことをしているために多大なるご批判が待ち受けているに違いない。が、ライフスタイルが夜型に移行するどころか昼夜逆転してぶっ壊れている大学生やヲタくさん、エンドレス高負荷デスマーチのリーマンに生殖行為等々を望むよりも睡眠時間を多くとってより体の大事をとっていただいた方が文明的ではないか、とプロレタリアートが搾取される世の最下層でささいな反抗として提唱する次第である。

written by sofuwe [生活] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(2)]

Comments

『タイトルなし』

・・・。

ふっと思ったぜ。4セクションはsofuwe並みの体力が前提だろうし
俺なんて貧弱貧弱ゥからすれば正直アレだけど、

睡眠−起床のライフスタイルに異論を唱えたのはすげーいい着眼点だと思う。

情報社会−リスク社会、あるいは新自由主義的言説が
極端に推し進められた結果、情報のジャングル−すなわち
狩猟−採集時代のライフスタイルに戻るべきなのかもね。
つまり、寝るときはずっと寝るけど、狩りのときとか危険に身を晒しているときはぜんぜん寝ない。
そのために狩猟・採集時代なみの体力と健康が標準となる。
うん、極論だけど、ロングスパンでは確かにありえるかもしれん。

written by かのう

『タイトルなし』

おおお、お褒めの言葉を頂き感謝の極み・・・

オフラインでもらったコメントのデイトレーダーとかが正に想定しているケースで、寄り引き〜大引けの時間帯に活動して、それ以外は生活時間ないしは就寝に当てる、という感じです。
しかしそうかー、狩・採集の時代や騎馬民族宜しく「できるときにやっておけ」的生活というのを考えると”回帰”しているっていうこともあるよなぁ。

しかしあれだ、なんのかんので「やっててよかった”公文”式」みたいな話になってきたね(笑
(ネタ:つ「公文俊平」でググルとなんとなく分かる)

written by sofuwe

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