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2006年01月22日の記事

2006年1月22日(日) 16:06

ご利用は計画的に

デカビタとかリポレビンとかコーヒーとか逝ってみるがどうにもだめだ。
それほど眠い状態なのでこんなのも試して見る。

ガガッこれは効く!
・・・つか鼻痛い!複数個は痛い!!寒い!!!


むちゃはよしましょう。

written by sofuwe [生活] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)]

2006年1月22日(日) 02:41

論文を書くということ

以下、自分への戒めと確認を含めテキスト化しておくと有益化と思うので書き出しておく。異論、修正はコメント欄にて。

(つづきは上記リンクから。)

 論文とは、研究成果をまとめて文章化することによってその知見を社会に役立てんというものである。(研究とは何かというと研究とは自分のためだけの知識の集積である勉強と異なるもので他者のためになるという「公共性」を持たねばならない。)
 ただのレポートは知識を収集・整理したものを文章化するだけで体裁をなす。つまり、事実の羅列であったり結論として雑感が入っていたりしてもよいのである。つまり、勉強の範疇でことが済む。が、論文は検証や分析手法は使い古されているものでよいが、結論(アウトプット)が研究の最先端(土屋先生の言葉を借りるならstate of art:技術の最先端)を超えていなければならない。(創造的でなければならない、とも言えるかな。)ここに大きな差異がある。

 さて、論文は様々な類型が存在する。調査型、考察型、提案型、実験型、作成型などが挙げられるようだ。・・・「社会調査、文献の二次調査を行い新しい問題を発見・指摘し、はじめに立てた仮説を実証する。」「既存の情報を元にとある問題を指摘し、妥当性のある解決手法を提案する」といったのが文系が書く論文の大半だろう。(調査・考察・提案型。)まぁ提案型には特許出願といった形もあるので理系も書くだろうし、それぞれの範囲は曖昧だろうからここにこだわる必要はあまりなさそうだ。
 しかして共通する重要な要素としてはいずれも「新規性・創造性」が求められる訳でなおかつ「公共性」がなければいけないということだろう。つまりロジックとして「今まで・・・といっている人が探し回ってもいなかったから言ってみるよ」という資料調査と「だって・・・ということは社会に役に立つんだ」という論理的な説明が必要で、説得力を出すにはそこに妥当性が求められる。(妥当性という言葉を使っているのはコレ!という真理が出ることばかりではないから、読む人の多く(真理でなければ全員納得というのは無理である。価値基準なんて決められないからね。そもそもそれが真理でも人間ってヤツは納得しないものだ。)が納得をするという落としどころが必要だ、ということからである。)

 で、何を題材にするか、というのはやはり研究の最先端(state of art)の境界から引っ張ってこなければならない。そしてその境界を突き出すためには誰も言っていない自分の言葉が必要になるのである。(新規・創造性)

 文系が書くような仮説検証手法の論文は大体こんな流れになるだろう。
「調査をしたら・・・という問題点が浮かび上がってきた。(勉強的な準備研究段階)」
→「では・・・について調べている人・取り組んでいる人はいるのか(最先端であることの下調べ)」
→「・・・という問題があることが分かった。(ここで初めてRQ:リサーチクエスチョンがでてくる。)」
→「では、どのような解決方法があるのか。例えばこんなのはどうだろう。(仮説の打ち立て)」
→「論理的に仮説検証をしたところ〜という結論を導き出した。(結論登場。その妥当性の検討、そして考察)」
 リサーチクエスチョンに対して妥当性のある答えを導き出せたら結論、おしまい、という形にまでRQは絞り込まなければRQとは呼べない。つまり問題発見という一番最初の段階が一番気を揉むところであり、ここが確定すると8割方論文は終わったようなもの、ということのようだ。
 問題発見をするためには”何を以って問題か”という問題意識が問われる。学問の体系によって既に研究を進めるための前提条件があり、というのがあれば楽であるがそうでなければ自らの立場を明らかにしながら前提条件をはじめに明らかにしておかなければならない。(経営学で論文を書くならば例えば「資本主義にのっとっているから、利益を儲けることの是非は大前提として、ビジネスモデルを提案していく」のような。)そうすると社会学とか哲学の論文というのは前提の置き所に苦心する。だからこそ初めはとにかく一点に問題点を絞り込んで取り組むことが練習として必要なのだろう。

「小さな小さな穴から広い世界を見通す。」とのこと。言いえて妙だ。

参考:
・「@卒業論文」
・伊藤潔「研究と勉強の違いについて」
・土屋先生、苗村先生、国領先生ら諸尊師方の発言

written by sofuwe [授業・研究] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)]

2006年1月22日(日) 02:38

ふくしゅう。

論文用のふくしゅう。
(旧レシピから保守。)

(つづきは上記リンクから。)


 インターネットを飛び交う”情報”の性質ってたくさんあるのだろうけれども、その構造を私は「A」「非A」で分けようと思い、インターネットの黎明期から求められ、交換されていた”インテリジェンス”と、非インテリジェンス即ち”アンインテリジェンス”で区分してみた。例えばインテリジェンスは情報の中の”諜報”という位置づけで戦略に使ったり生活をするための意思決定に使われたりする情報を指し、お笑いとかポルノとか、こういったものがアンインテリジェンスだ。アンインテリジェンスによってつながった人たちをアンインテリジェンスコミュニティとも呼ぶことにした。勝手に。インテリジェンスと情報という点で同じ要素を持つアンインテリジェンスは、昨今情報化社会よって”急成長”しつつある。(手軽に、高速で、いつでもどこでも、不特定多数に扱えるようになった、という意味での成長。好意的とも悪いともしていない。)

 だけど「電車男」、「マイヤヒののまねこ」なんか2chという日本のアンインテリジェンスの総本山みたいなところで生まれた”ネタ”も、いろんな人が最初に投下されたネタにインスパイアされ、アンインテリジェンスコミュニティ内で創発がおき、いつのまにか市場にまで担ぎ出されていった。ここまで来るとアンインテリジェンスも企業の市場戦略や国家の法制度(例えば著作権法整備)にまで影響を及ぼすインテリジェントとなりえている。

 このアンインテリジェンスの膨張、突き上げがインテリジェンスを脅かす構造は、別段アンインテリジェンスによるインテリジェンスの排斥ではなくて、単に二項対立で終わらせるだけでない「Aであり且つ非Aである」「Aでなく且つ非Aでもない(そんなものがあるかどうか分からんが)」という境界(リーメン)の存在を意味する。カーニヴァル化する人たちは日常から非日常に移って「ハレ/ケ」の温度差を楽しむために普段の「自分が立っている立ち位置」とその未知の未知である「境界」の行き来をするのだろう。
 この境界の線引きが秩序で、せめぎあいによって次第に固着化して風習だとか文化だといった言葉で裏づけされてしまうのかもしれない。

 さておき、アンインテリジェンスがあるからこそのインテリジェンスとのせめぎあい、活発な活動と境界上での祭なのであって、センシティブな民間企業なんかはマーケッティングやリスクマネジメントなどで対応するようになってきている。ただ、企業やインテリジェンスコミュニティなどが行っている創発はサイクルをまわすために資本主義の燃料たる”資金”が必要で、アンインテリジェンスコミュニティによる―VIPSTARとか、一見くだらなく見えるかもしれない―創発は”面白ければいい”という”ネタ”が燃料で、サイクルをまわし続けるのが用意ではないかと考えた。(今のところインテリジェンスに近づいたアンインテリジェンスに資本の原理を持ち込もうとして失敗しているケースが目立つが、それはまた別のお話。)

 ”ネタ”を燃料にしてサイクルが回り続け、創発がいつまでも続いていくのならば、創発とは持続可能であるということが証明でき、やはり持続させるのは困難なのではないかと弱り果てていた”インテリジェンスによる持続的な創発”の何かヒントになるかもしれない。コレは誰か喜ぶぞ。(誰かが「ネタ投下の神」となってしまい、創発のキーファクターになることで創発が創発でなくなる、ということも考えられるし、そもそも社会に手を加えるということ自体がだいそれていておこがましいかもしれないので憚られるかもしれない。本当はこの辺でやめといた方がいいかもしれない。だ が 断 る。といっても実際には手出しではなくてきっかけを与えてひたすら観察する、という立場だしたった一人の人間が介入しただけで必ず大きく変わってしまうのでは社会とは呼べないだろう。何がどのようにどの程度影響を及ぼすのは予測はできても予言はできないからだ。そこんところ、カオス理論を参照だ。)

ということで、
・如何に安定して”ネタ”を投下し続けられるか、という技術的な考察と、
・投下し続けたところで本当に創発はずっと続くの?という理論的且つ納得のいく結論
が必要だ。

 私は前者はプラットフォームの整備が肝心であると考えており、ネタであるならばたとえば「まとめサイト」がそれにあたるのではないかと考え、それを追うことにした。アンインテリジェンスコミュニティが創発を続けるためのプラットフォームとしてまとめサイトがある。要は「創発のプラットフォームとしてのまとめサイト」研究だ。できればそれを追うことで後者の結論を模索していきたい。(場合によっては永続はしないと判断するかもしれない。)時間があれば後者も追いたい、ということだ。

 つまりリサーチ・クエスチョンとして「何かしらの燃料(そのコミュニティが価値観を見出している何か)を投下し続ければ創発は持続する。」ということで、んでその単純な仮説としては、「燃料を投下し続けるアーキテクチャをもつプラットフォームを整備できれば創発は持続する」ということで、要はそのケースとして「”ネタ”を投下し続けるための”まとめサイト”でアンインテリジェンスコミュニティの創発が活発化する」過程を追うのである。←今ここ。


 秩序形成がどうなってどのような規範ができようが知ったこっちゃないが(おい)、アンインテリジェンスが世の規範なんか作っちまったらそれはそれで面白そうだ。最後のこの発言は論文とか関係ない、ちょっと危険思想。

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