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2008年6月28日(土) 21:44

ワタシノシゴト(5)

その1   その2
その3   その4


今回は「退職」について。
長くなるので、続きはこちら


 公務員はいうべきにあらず、教職公務員の職責が大変に重いということは、市民をはじめ皆様ご承知のことかと思う。だからこその「安定雇用の保障」ではないが、必要最低限のサービスを維持するためには「たとえ低空飛行であっても飛び続ける」仕組みが必要であり、「懲戒処分を下されない限りクビにならない」というのがそれに当たるのだろう。故に一度公務員(教職員)になった人間は、よほどのことがない限り下野しない。つまり「退職」を公務員の状態で迎える。
 
 前出の条件をよく見ると公務員が大変に怖がるのは「処分」である。懲戒でなくとも訓告、注意等で減給や昇進に影響が出たりするのは、恐らくは生活に最も波風を立てる事象であることは間違いない。

 逆を正せば、「処分」さえなければ、その範囲でフリーダムである。例えばどんな嘘を教えようが、反日教育を行おうが、「指導」は教諭の裁量に任されているため、処分対象ではない。が、現行一切の体罰(軽度の体罰はもちろん、心の体罰を含めて)が認められていないため、「バカガキに、デコピン一発明朗叱咤」でさえ発覚すれば処分沙汰である。まぁ、この辺の良しあしについては今回はさておき。
 事務職員にあっては、はっきり言ってその仕事はブラックボックスだ。最低限給与事務をやっておけば、教諭の目に直接さらされるような影響がないため、処分対象になるような事象が発覚しない。事務職員を監督すべき管理職の副校長や校長も、教諭出身であるため事務に明るい人間が大変に少なく、経理関係の書類チェックがザルだったり、服務知識が欠如していたりすることは、よくある話だ。もちろん、監査(給与や公金等、さまざまな監査がある)で指摘されれば担当職員はまとめて処分である。そのため、監査が当たった学校は学校中の書類をひっくり返して整合性チェックだ。抜き打ちでやられたら、大概アウツだろう。
 
 だが、処分されるのは「担当職員」だ。横領をしていない限り「退職した人間を処分することが出来ない」のである。故に「えらい人間ほど危ない」。現場では「主幹ほど危ない」といわれている(学校事務職員6級の事務主幹は、市下57〜60の人間しかいない)。要は「野となれ山となれ」だ。
 もちろん個人の良心と責任感から、最後まできちっと仕事をして退職される方も多い。が、公務員としての職責を墓場まで持っていく覚悟、というのはどれくらいの人間が持っているかは疑問であるし、制度としてそれを強いていない(本当は退職以降も法令上の縛りがあるのだが、実行される向きがない)。

 今年度より、横浜市では期末・勤勉手当に「成績率」が導入された。働いた功績や勤勉態度によりS・A・B・C・Dのランクづけがなされるもので、公務員としての自覚を増進させようという施策だとは思うのだが、これを年功序列で年上ほど配分していっては意味がないだろう(勤続年数が長い方が成績率がいいってアホか。)。長期休職した人間と、懸命に働く若手が成績率おんなじってなんじゃそりゃとは言いたくなる。しかも相対評価のはずなのにそれを無視した、絶対評価並みの大盤振る舞いが市内を駆け巡っている。それぞれの号給に対しての勤勉・成績率をあてがう必要もあるだろう。結局、内実を伴わない施策は、モチベーション…はおろか、職責に対する覚悟まで揺さぶっている気もしないでもない。

 この件に関しては、上のもう少し練りこんだ上での施策と、組合による自助努力と(本来の意味による)啓発が望まれる気がする。




 さて、お送りしてきたシリーズも、上半期分は今回でとりあえず〆で。
次回はやりたくなったら、はたまた下半期にでも。

written by sofuwe [仕事] [この記事のURL] [コメントを書く] [コメント(0)]

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